Jリーグ FC東京で16年間プレーし、「スピードスター」の愛称で日本代表の中心選手として活躍した石川直宏さん。
株式会社ティーアンドエス 代表取締役/アシタネプロジェクトプロデューサーの稲葉繁樹とかねてから交流があり、この度、公式アンバサダーとしてアシタネプロジェクトの活動に参画いただくこととなりました。
現役選手時代、多くの困難に立ち向かい戦ってきた石川直宏さんに、現役引退後のセカンドキャリア、現在の活動や今後の構想についてお話を伺いました。
選手の目線で全ての関係性をより強く
──現在、約16年間プレーされたFC東京でクラブコミュニケーターに就任し、セカンドキャリアをスタートさせご活躍されていますが、具体的にどういったお仕事なのでしょうか。
一言で表すと、FC東京に関わる全ての関係性を強めるためのハブになることです。サッカーチームはまず運営・経営の主体となるクラブがあり、ピッチでプレーをするチームがあります。
クラブが持つビジョンとチームが持つビジョン、それぞれが同じ方向を見て、一体となって戦っていけば、チームの結果はもっと良いものになるのではないか、もっとよく出来るのではないかと現役時代から感じていました。
サッカー選手の引退後は、監督やコーチ、チームのスタッフ等、再び現場でセカンドキャリアをスタートすることが多いです。ですが、僕は組織に入り、選手だからこその目線で実際にプレーする選手や、応援してくれるサポーター、ステークホルダーの皆さんとの架け橋になって、より良いチームを作りたいと自分の想いをクラブの社長に伝え、クラブコミュニケーターというポジションに就きました。
──サッカーチームは地域との関係性も深いですよね。
そうですね。現役時代は地域の小学校に訪問して子どもたちにサッカーの魅力を伝えたり、小児病棟や児童養護施設の訪問、商店街で地域の方々との交流など、FC東京を沢山の方に知っていただくための活動もしていました。
地域というコミュニティを通して、サッカーの練習場や試合では出会えなかった方々とも身近に触れ合うことができました。今は現役時代とはまた違った立場で、クラブ内外の関係性をより強く繋げられるよう活動しています。
非認知能力を高め未来へ繋げる
──石川さんは社会活動や教育にも力を入れて活動されていますが、どういった経緯だったのでしょうか。
社会や環境への意識、教育等、日々生活していく中で避けては通れない部分を未来ある子どもたちに託していきたいという思いがあります。自分の身の回りで起きていることに対して敏感に情報をキャッチすることや、課題に対してどのようなアクションに変えるか。自発的な行動や発言ができる感度の高い子どもたちを育てていきたいと考えました。
僕はサッカーをずっとやってきたので、サッカーを通して強く育っていってほしいと思っていますし、日本のサッカー界でリードしていく人材が出ていくことは僕の理想としていることです。ですが、例えばサッカーを子どもに教えたとき、2割をものにする子なのか、8割をものにする子なのか、自分で工夫して先に繋げることができるのは吸収力の高い子だと思います。僕がサッカーを教えるというよりも、吸収力の高い人材をどう育てたらいいかということに意識が向いたのです。
僕がサッカーを通して身に付いたことのひとつに、上手くいかないときにどうすればいいのか、という解決の手段があります。仲間11人でプレーする中で、どう力を出し合って結果に結びつけるのか、コミュニケーション力や傾聴力等の数値化がなかなかできないものをしっかり能力として高めていく。その数値化できない能力のことを「非認知能力」と言います。
ではその「非認知能力」をどのようにして高められるかというと、普段慣れていない環境に身を置いてみる、自分が知らない世界に触れてみることで感じる課題をどう解決していくか。世界中には色々な地域があって、色んな文化があって、貧困率が高い地域もある。 それを自分事のように自ら行動することによって、自分のマインドが変わったり世界が変わるきっかけになるような取り組みをしていきたいと思っていて、アシタネプロジェクトと僕の思いが一致していると感じました。
課題を受け止め変化を進化に変える
──コロナ禍で世界が壁にぶつかり、自分と向き合い取捨選択する機会も増えたと思います。
そうですね。このコロナ禍で、間違いなく世の中がネガティブな状況になりました。“非日常”が“日常”に変わりつつあります。
いざネガティブな状況になったときに、自分はこのままでいいのかと自分のことを俯瞰で見ると思うのです。この状況はまさにサッカーで怪我をしたときと一緒です。コロナ禍の中で僕が思ったことは、自分が怪我をしていたときにどうやって乗り越えたのか。それを考えると、今の状況をしっかり受け止めて理解すること。これからサッカー選手として成し遂げたいことや、怪我を治療し復帰した先の自分がどんなことを望んでいるか。
僕は、引退前に2年半のリハビリ期間を経て復帰し、その後引退をしていますが、そのときは自分のためにではなく、自分を応援してくれているサポーターや自分を待っていてくれる人に、どうやって自分のあるべき姿を見せるか、ということだけを考えました。
コロナ禍に置き換えると、この先どう行動していくか、今何ができるのかビジョンを描いて、今の自分を客観視していくのです。その中で考えて、行動するのではこの先の人生や価値観も変わってきますし、色々な困難がある中で、困難を力に変えることができる、変化を進化に変えることができる人材を育てたいし、共働していきたいですね。
次へのモチベーションを生む活動を
──石川さんはこれからどのような意識で、どのような活動をしていきたいですか?
サッカーをやっているときは当然「サッカーが楽しい!」という気持ちでプレーしていますが、その時に身に付いているものは協調性だったり、先をイメージして行動することであったり、実は色々な要素があります。
サッカーを通して、世界の地域でのコミュニケーションや文化も肌の色も違う人たちと交流することによって色々な事が学べると思いますし、学んだことをこれからの社会や人生への意識に繋げていく、次へのモチベーションが生まれるような機会を作っていきたいと思っています。
抱えている問題は、紐解いていくと個人個人の課題になると思うのです。個人が変わらなければ全体は変わらない。時間が掛かるとしても個人に焦点をあてることで、その先の全体感は必ず変わっていくと思います。サッカーでも、チーム全体を見ながら個々にアプローチをかける監督は間違いなく選手からの信頼感も高く、一緒に活動することで成長を感じられた経験もあります。
世界や地域の課題であっても、そこに住んでいるのは“人”です。一人ひとりに働きかけるような意識で活動していきたいですね。
石川 直宏
元サッカー日本代表/FC東京クラブコミュニケーター
横須賀市の少年団チーム横須賀シーガルズでサッカーを始め、その後横浜マリノスジュニアユース追浜→ユースを経て2000年Jリーグデビュー。試合では、ずばぬけたスピードによる突破で得点をアシストする活躍を見せる。2003年から2004年にかけてはアテネオリンピックを目指すU-22日本代表とA代表の両方から招集を受け活躍。
度重なる怪我を乗り越えて、圧巻のプレーと爽やかな笑顔でファンを魅了し続け、2017年に引退。
現在はFC東京クラブコミュニケーターとしてクラブの発展に尽力しながら、個人でもメディアや講演など幅広く活動をしている。
インタビュー/構成 Kazue Mitome