ラオスには3つの世界遺産があります。その中の1つ、2019年にラオスで3番目の世界遺産として、「シェンクワーン県ジャール平原の巨大石壺遺跡群」が登録されました。「謎の石壺群」として知られています。1931年から1932年にコラニーという考古学者によって、初めて調査が行われました。当時、石壺の中は、ほぼ空の状態でしたが、わずかに人骨などが残った壺や石壺の下からは棺桶が発見されました。このことから、石壺は遺体を埋葬する棺として使用されていたと考えられています。石棺説が一番有力ですが、ラオスでは他にも酒壺説や米壺説などの諸説があります。どのような理由で、一体どこからこのような巨大な石を運んできたかなど、謎は深まるばかりです。そして、ジャール平原の石壺の調査は、現在も続いています。
シェンクワーン県の県庁所在地はポーンサワンです。ホテルやレストランなど、この街に集中しており、観光の拠点になっています。ラオス北部のこの街は標高1000メートルの高原地帯です。そのジャール平原には、砂岩を削った高さ1から3メートルの円筒状の巨大石壺があるエリアが60カ所以上、石壺の数は1000個以上、点在しています。ジャール平原は「ジャー・サイト」と呼ばれる多くのサイトに分かれており、その中のサイト1から3を中心に公開されています。
「サイト1」
「サイト1」は、ポンワーサンからから西に8キロメートル程の場所に位置しています。この「サイト1」は最大規模です。大きいもので高さが3.25メートル、直径が3メートル、重さは6トンもある石壺があり、全部で大小様々な石壺が311個も並んでいます。見渡す限り、石壺しかない「サイト1」はジャール平原の約半分ほど見ることができます。
「サイト2」
「サイト2」は2つのグループに分かれ、93個の石壺が点在しています。一つは人の背丈より高く、細長い形の石壺が並んでいるのが特徴です。もう一つは浮彫が施された石壺が並んでいます。
「サイト3」
「サイト3」は8つのグループに分かれ、断面が長方形な石壺が多く、150個ほど並んでいます。
世界遺産に登録された11サイトのうち、4~11サイトはラオス人のガイドがいないと入ることができません。なぜなら、ここはインドシナ戦争でラオス国内でも特に空爆が激しかった場所で、不発弾がまだ残っており、今もその処理が続いているからです。 東南アジアの最大のミステリーと言われている「ジャール平原の巨大石壺遺跡群」。 謎は深まるばかりですが、歴史的にも興味深いこの地を一度は訪れてみたいですね。
記事/Watanabe Tomoko