第二次世界大戦1939~1945年より、前に建てられた「ショップハウス」。ペナン島のジョージタウン街区は、戦火に見舞われることなく、現在も当時の建物が残っています。多文化遺産、多種多様な人々が集まり影響し合う場所。マレーシアは華人が多い国、第3位です。中国の文化がたくさん見られる場所でもあります。
鮮やかなショップハウスが、町の表情を豊かにしています。ここから、さまざまなビジネスが展開されていました。
プラナカン文化
中国から渡り現地民族と混ざり合いながら、マレー半島一帯に根付く独自の文化。マレー語でプラナカンとは、「ここで生まれた子」という意味。そのルーツは、漢民族。
プラナカン建築(ショップハウス)は、マラッカやペナンで多く見られます。飾り窓の細工や、ユニークな外観の色合いが素敵です。中国の南部から、ベトナム、タイ、インドネシア、マレーシアとアジアの広い地域に見られます。暮らしの中では、東西文化がミックスされた細やかな彫刻の調度品や家具を揃えていました。
ショップハウスの変遷
初期は、オランダ様式に始まり、中国南部式、イギリス統治時代と各国の文化が混在した建物となりました。
アーリー・ショップハウス 1840~1900年代
ファースト・トランジション 1900年前後
レイト・ショップハウス 1900~1940年代
アールデコ 1930~1960年代
熱帯の暮らしでも快適に過ごせる「エアウェル」と呼ばれる、吹き抜けのある中庭。自然の通風があり、空間が明るく、工夫があり満足度が上がります。奥行きが長い家屋のショップハウスは、かつて商人たちが建物の1階は「店舗」、2階以上は「住まい」として生活していました。
イギリス植民地時代に建物への税金「間口課税」間口の幅で課税されていました。それにより、ショップハウスの間口が狭くし、奥行きが長い構造が特徴です。隣家と壁を共有する長屋式で、室内の廊下は長かったのも特徴のひとつです。
玄関前のファイブ・フット・ウェイ
5歩幅の歩道という意味の、公共の通路。日差しが強いマレーシアなので、連なるショップハウスに沿って約1.5mあり、歩行者の日よけ、雨よけの機能があります。タイルの床までもがオシャレな印象的です。
鮮やかなタイル使い
「プラナカンタイル」イギリスで作られたという原点があるタイル。「マジョリカタイル」日本のメーカーによって作られたタイル。マジョリカの由来は、マジョリカタイルの為に開発した色釉を「マジョリカタイル釉」と命名したから。第二次世界大戦前まで日本の淡路島で製造していた「マジョリカタイル」は、生産量7割を海外に輸出していました。寺院や、世界中のさまざまな建物を飾り、今もその一部が残っています。立体感のあるデザイン、模様が古典的な植物柄、さまざまなバラ柄、釉薬の鮮やかな色彩が印象的。
世界遺産都市マラッカ
クアランプールからタクシーで2時間で行けるマラッカは、プラナカン発祥の地。マレー半島西海岸南部の港町。飛行機がなかった時代、船でマラッカ海峡を通らなければなりませんでした。
マラッカの地名の由来は、インドネシア・スマトラ島の王子パラメスワラが木陰で休んでいた木が「マラッカ」だったといわれています。町には、マラッカの木がいたるところにあります。1396年にマレーシア建国を宣言したのは、王子パラメスワラ。マラッカは、香辛料貿易のにおける重要な中心地となりました。
マラッカのヒーレン通り
オランダ、イギリス、中国の文化ががミックスされたユニークなヒーレン通り。「ヒーレン」は、オランダ語で紳士という意味。富豪の家が多く、身分の高い紳士がここで暮らしていて「億万長者通り」と呼ばれていました。 昔ショップハウスだった建物が、今は改築され、若者に人気のカフェやホテルになっています。古い雰囲気も感じながら、居心地の良い素敵な場所に変化。先進的なものを吸収することが得意なマレーシアは、飽きさせず、昔の建物に興味を惹く工夫をして外国人観光客がその街並みを楽しみに訪れています。
記事/Ami Inoue