INTERVIEW

小野 裕一 インタビュー
世界の防災の灯台を目指す。そして文化へ。

Yuichi Ono

小野 裕一

東北大学災害科学国際研究所
防災実践推進部門・2030国際防災アジェンダ推進オフィス 教授

米国で竜巻災害の研究で博士号を取得後、2002年に途上国の防災に従事することを目指して国連に就職。世界気象機関、国連国際防災戦略事務所、国連アジア太平洋経済社会委員会に通算で10年以上勤務した後、東日本大震災の後で帰国し東北大学災害科学国際研究所に赴任。2015年の第3回国連防災世界会議で、各国がエビデンスに基づいて防災政策を行うことを支援するために災害統計グローバルセンターを開設するとともに産官学民連携による世界防災フォーラムの取り組みを発表。

──世界防災フォーラムについて教えてください。

みなさんは「世界経済フォーラム・通称ダボス会議」ということばを聞いたことがあるでしょうか?その防災バージョンだとご理解いただければ1番わかりやすいかと思います。一般財団法人「世界防災フォーラム」が、2年に1度、仙台や東北の被災地で独立して運営している国際防災会議と関連イベントが世界防災フォーラムです。
出席者は、国内外の産学官民メディア等々、色々な方々においでいただいております。また、開催場所が被災地ということもあって、被災者の皆さんにもお入りいただける市民参加型の国際会議となっております。言語は基本的に英語ですが、日英同時通訳をつけているセッションもたくさんあります。学術会議ではないので、難しい専門用語の使用はなるべく遠慮していただいております。英語の会議にする理由としましては、日本の防災の知見を海外に広めていきたいからです。また、日本人だけで議論をすると、スコープが国内に限定されてガラパゴス化してしまうことがあるからです。外国の方々が参加することで海外の知見や新たな見方を防災フォーラムに持ってきてもらい、日本人も勉強になるというシナジー効果が期待できます。
世界防災フォーラムの拠点は仙台にありますが、日本政府や仙台市、或いは東北大学から一般財団法人に財政的な支援をいただいているわけではありません。本当はどこかからまとまったお金でもいただければ、運営面は楽になりますが自主独立性を大切にしています。フォーラムの命は防災について束縛されずに 自由闊達に議論できる場を提供することですので、フォーラムの趣旨を理解していただける個人や団体の方々の温かいご支援に支えていただいております。

──世界防災フォーラムと連携している防災ダボス会議では実際どんな議論がされているのですか?

ダボスはスイスの小さな田舎町でスキーのリゾート地です。ホテルも数が限られています。そのダボスで毎年1月に開催されている世界経済フォーラムでは、企業の経営者や各国の首脳とか大統領といった著名人が集まって、例えば気候変動の問題やグローバルのIT革命などの世界の経済に大きな影響を与えるような問題を議論しています。
一方、世界防災フォーラムが連携しているのが、グローバルリスクフォーラムという団体が2年に1度夏にこの団体がダボスで開催している国際災害リスク会議は、通称防災ダボス会議とよばれています。この団体と協定を結び、ダボス-仙台と交互に国際会議を行うことにしました。

──小野さんがこの取り組みを始めたきっかけは何だったのですか?

被災地復興への強い思いからでした。東北の被災地のために後半生を使いたいと思い国連を辞職して被災地仙台に移住し、自分に何ができるか考えてまいりました。そして、世界の防災の灯台となるようなものを被災地に作ることを決意しました。モデルにしたのが、国連在職中に関わったことのある世界経済フォーラムや世界水フォーラムなどの国際的なフォーラムでした。仙台では2015年に国連防災世界会議が開催されましたが、その際に地元東北大学の里見総長から「世界防災フォーラム」の開催について発表していただきました。東北大学災害科学国際研究所にも大きな支援を頂戴しました。賛同していただいた被災地の皆様にも感謝しています。

──ゼロから作られたのですか?

ゼロですね、ほんとうにゼロからです。お金はない。理解者は少ない。反対する声もありました。家族にも心配をかけました。すべてが自分の双肩にかかっていました。それでも持ち前の楽観的な性格と、何よりも震災で亡くなられた2万人の方々へのご供養のつもりで、2017年に第1回目のフォーラムを開催することができました。まだまだ産声をあげたばかりのフォーラムですが、震災を機に被災地に誕生した具体的な防災の取り組みとして皆様に応援していただけるよう頑張ってまいります。

──今は世界で何カ国くらいが参加されていますか?

自由参加型で大体40カ国くらいです。フォーラムには国内から700人、海外から300人ぐらいおいでいただいております。基本的に参加資格は設定しておりませんので、参加希望者は全員受け入れています。課題としては、このフォーラムについてはまだまだ知名度が低いことです。もっとたくさんの人に知ってもらいたいと考えております。

──日本に比べて世界の防災意識は高いですか?

災害が頻繁にある国とない国がありますので一概には言えませんが、特にアジア地域は意識が高いですね。理由として、アジアは災害が多くて世界中の災害で亡くなる方の8割から9割がこの地域で起きていると言われているからです。比べてアフリカでは、南東部ではサイクロンが来るところがあって意識が高いところもありますが、災害よりも貧困、飢餓、紛争や治安などの問題の方が深刻な国が多くあります。アフリカではまだまだ防災に十分取り組めていないのが現状です。ヨーロッパについてはイタリアやギリシャ、トルコなど地震や火山がある国では意識は高いと思います。それ以外の例えば北欧の国々ですが、例えば、2004年にインド洋で発生したスマトラ地震による大津波の際、タイのプーケットなどにバケーションに行っていたスウェーデンなどの北欧からの旅行者の死者数が、これまで自国で発生した自然災害の死者の記録を塗り替えました。これによって、自分の国だけの防災を考えていればよいという考え方が変わり、防災について世界的な関心が高まってはいます。
あとは気候変動ですね。今まで災害がそれほどなかったところも気候変動の影響が出てきているので防災についても取り組みを開始している国がたくさんあります。

──東日本大震災以降そういった防災の意識は高まりましたか?

はい。そう思います。東日本大震災による大きな犠牲は、日本のソフトやハードでの防災対策について総点検するきっかけになったと思います。1959年に伊勢湾台風が起きた後で災害対策基本法ができました。この法律は、多くの死者を出した伊勢湾台風のような悲劇を再び起こさないために、当時の官民の叡智を結集して作られました。これに基づいて国や地方の防災計画などが立てられています。
1995年の阪神淡路大震災の年はボランティア元年と言われました。少額ですが、被災した個人への支援金の道が開かれました。2011年の東日本大震災ではその制度が拡充されました。時限付きですが復興庁が創設されて、原状復帰の復旧だけでなく、創造的な復興事業も行うようになりました。大きな災害によって日本の国の制度も変わってきているという事です。

──日本全体でみると「防災」に対し、高い意識をもつことが浸透していないですよね

「防災」と聞くとどうしても堅い、暗い、真面目に取り組まなければいけないというイメージが付きまとってしまっていますね。一生懸命取り組む人がいることは事実ですが、関心のない人のほうが多いのではないでしょうか。忙しい日々の暮らしを送る中で、平常時に防災のことを考える時間なんてないとほうが普通だと思います。防災は、人が理解して行動に移せなかったら意味がないので、防災を広めるためには文化の力が非常に重要になってくると思っています。防災を文化にするとはどういうことでしょうか?
歴史を紐解くと、江戸時代やそれ以前の先人たちは、災害の記憶を忘れないようにということでそれを文化に取り入れていました。災害ではありませんが、京都の祇園祭は厄病退散を祈ったのが始まりとも言われています。大阪には江戸時代の時に来た津波の痕跡をとどめ寺で犠牲者の供養をして、人を悼む気持ちをお祭りなどの文化と合わせて、歴史的にずっと繋いできているというところが今でも残っています。これらは日本各地にみられます。歌や踊り、音楽は言葉の壁を越える力があるので、防災を復興文化祭とか音楽祭やコンサートなどで次世代に残る形にしていくという事は非常に重要だと思っています。
これまでに防災関連のミュージアムが日本国内に多くできましたけれども、海外にもあります。これらのミュージアムは観光客が興味をもって能動的に訪問し防災を学ぶ機会になるので、非常に重要と考えます。また、興味を持った人がweb上で国内外に他にどういう防災関連のミュージアムがあるか知っていただくことが非常に良いと思っておりまして、今年9月に開催する「世界防災ウォーク東北+10」でも、東北にある地域のミュージアムをいくつか訪問させていただき世界発信するつもりです。

──「世界防災ウォーク東北+10」はどういうきっかけで始まったのですか?

コロナ禍で国際会議のような大きなイベントはできないと腹を括りましたが、震災から10年の節目の年なので、何もしないという選択肢はありませんでした。
もう一つのきっかけとしましては、これまでに国内外問わずたくさん支援をいただいているので、今の被災地の10年目の様子を見ていただきたいと思ったのです。私が言うと恩着せがましいですけど、恩返しみたいなつもりもあって。ここまで復興をしたよという姿を皆さんに見ていただきたい。その手伝いを我々が取材という形をとって個人や団体の方々の想いと声を伝えていければと思っております。

──震災対策技術展について教えてください。

エグジビションテクノロジーズ(株)さんが、世界防災フォーラムの時に同時開催で行った企業の防災技術展です。仙台国際センターの展示棟で開催し、40くらいの企業さんの展示ブースに入っていただきました。なるべく英語での展示や説明もお願いしましたので海外からの参加者にも好評でした。

──その技術が世界で実用化されている例というのはありますか?

残念ながら防災の分野では、まだあまり耳にしたことはありません。特に、日本にしか拠点のない中小企業の方々の場合、海外に行ってセールスするというのは骨が折れると思います。インターネットの時代になりましたが、なかなか浸透していないというのが現実と思います。世界防災フォーラムをきっかけに日本の防災ビジネスが海外で展開できるようなるといいですね。

──日本の良い技術が世界に羽ばたけると良いですよね。アシタネプロジェクトで連携できればと思っています。

世界防災フォーラムとすごく相性がいいと思います。世界防災フォーラムをやるときにアシタネさんにぜひ入ってきてもらって共同でいろいろできたらいいですね。

──今後のビジョンを教えてください

世界防災フォーラムは、また始まったばかりで今はまだ40か国の1,000人規模の会議ですが、よりたくさんの人においでいただきたいと思っております。今は参加登録料をいただいていますが、協賛活動に力を入れて、参加登録料を限りなくゼロに近くしてより多くの方にお越しいただきたいと思っています。また、通訳に関しましても、今は一部同時通訳を入れているのですが、可能な限り全てのセッションに同時通訳を入れていきたいと希望しております。
仙台防災枠組が有効なのは2030年までなので、復興20年を目指して、とにかく2030年までは仙台をはじめ被災地に貢献できるようにますます頑張っていきたいです。