task 課題

『歴史の負の遺産』を活用したダークツーリズム、スリランカの農村暮らしの体験を

石川直人 Naohito Ishikawa

「対話・自立・持続」をテーマに、そこに暮らす人々の生き方を大切にしながら支援を行うNPO法人アプカスの創立者。スリランカでのNGO活動の範囲に留まらず、ソーシャルビジネス現地法人などを設立している。

紅茶栽培の労働者が住まわされていた劣悪な『長屋』

ダークツーリズムは、歴史の負の遺産をプラスに活用するソーシャルビジネスの取り組みです。スリランカ中部州の古都で、世界遺産で有名なキャンディという町があるのですが、高地で比較的涼しいこともあって紅茶栽培に適しています。そのキャンディ郊外の農村で、紅茶栽培を通じて経済活性化を後押ししようと最初は考えました。
ただ、紅茶は植えてから最初の収穫まで3年半、本格的に収穫できるようになるまで5年かかります。個人が投資するには回収までのスパンが長すぎるので、養鶏と乳牛を導入して、紅茶と両方やっていきましょう、というプロジェクトをスタートさせました。

そこはイギリスの統治時代、一番最初に紅茶が入ってきて、インドから連れて来られた労働者が住んでいる地域でした。彼らが住む長屋が今も残っていたんです。これがいわゆる『歴史の負の遺産』で、過酷な住環境に閉じ込めて労働搾取する象徴と見られていました。国も国連やNGOと連携し、この長屋を取り壊して新しい戸建ての住居を提供する、という施策を多数やっていましたし、今もそれは行われています。
ただ、現地に行って話を聞いてみると、田舎の農村地帯は過疎化がどんどん進んでいて、戸建て住居はあまり必要とされていない地域もありました。また、長屋自体が劣悪な労働者の住まいとして見るのではなく、一棟で4家族分あった長屋の壁を取っ払って1家族で使えば、結構広いんです。壊さないで改築し、快適に生活している住民も多くいるというのが我々が最初に見た時の印象でした。

それで私が考えたのは、長屋に宿泊しながら農業をする、スリランカの田舎体験を提供することです。テレビ番組で見たのですが、フランスのド田舎に行くツアーが日本からの観光客に人気だという内容でした。世界遺産などの観光地を見尽くしてしまった後、もう一度スリランカに行く場所に、ちゃんとしたストーリーを持っている場所で体験を提供できる、そういう形を思い描きました。それで雇用が生まれてコミュニティにお金が落ちるシステムができるんじゃないかな、と。

建築の専門家の視点で見ると「非常に興味深い」

東日本大震災の後、私たちはNPO法人アプカスとして、気仙沼の仮設住宅の住環境を改善するプロジェクトに取り組んでいました。それまでの仮設住宅は長期滞在を想定しておらず、ルールとして釘を打つこともできませんでした。それでも東日本や新潟の震災の後は、仮設住宅での暮らしが長期化するケースが増え、東北ということもあって寒いし結露もするので、どうカスタマイズして快適に暮らすかのプロジェクトをやっていたんです。仮設住宅の上手な使い方を説明した『仮設のトリセツ』という書籍を書いた大学の先生達とも連携して事業を進めました。
その時にいろいろな建築の専門家に来ていただいたのですが、その繋がりから京都大学の建築家の方がスリランカに何度か来てくれて、ちょっと強引にキャンディに来てもらったんです。その建築家の方はキャンディの長屋を見ると「非常に興味深い」と言うんですね。イギリスの植民地時代に、当時のトップクラスの技術を使って建築されていると。鉄フレームはイギリスから持ってきていて、その刻印が入っていたり、石の積み方もスリランカにはない方式だったり。でも建築を指揮したのはシンハラ人だからその文化が、そこで生活するタミル人の文化も入って、様々な要素が融合した新しい構造物になっていると。建築の専門家の視点で見ると、いろんな意味で楽しめるものだったんです。

『歴史の負の遺産』だった長屋をポジティブに活用するアイデアは、その建築家の方から出たものです。そこから長屋を改築して、地域の人たちにももっとかかわってもらうツーリズムを育てていく取り組みがスタートしました。改築で中の仕切りを変えたのですが、もともとあった壁や石の積み方といった特徴のある技術はそのまま残しました。これを宣伝して観光客を呼ぼう、となった矢先に爆弾テロがあって、そして新型コロナウイルスのパンデミックになってしまいました。

快適に過ごせるように改築した長屋で、スリランカの農業体験を

このツーリズムのソーシャルビジネスは事業として今の段階では全く成功とは言えず、ここからテコ入れしていかなければならない状況です。改築は2年前に終わっていて、長屋の住民でもある若者に英語習得のトレーニングをしてガイドをやれるようにもなっているので、日本から観光客が来れば私がいなくても対応できます。世の中が落ち着いた時に、どうやって宣伝して観光客を呼び込むかが非常に難しいところではありますが、ポテンシャルはあると今でも期待しています。

キャンディはコロンボから160kmぐらいの距離ですが、今はかなり良くなったとはいえ日本とは道路事情が違うので車で5時間ぐらいかかります。それでもスリランカ仏教の聖地であり、ブッダの歯が祭られている仏歯寺があったり、街全体が世界遺産に登録されているので、かなり観光客が来ます。そこから我々が活動している村までが1時間半ぐらいかかります。キャンディに来た観光客をこちらまで呼び込みたい。キャンディは観光地としてかなり力があるので、観光客が戻れば可能性はあるはずです。
改築した長屋では今、2組が宿泊できるようになっています。ただ、もともとが長屋なのでホテルのようにゴージャスな家具はなく、シンプルな滞在ができるようになっていて、それを楽しめる人に来ていただきたいです。有機農業をやっている農家が近くにたくさんあるので、畑で朝の収穫体験であったり、牛の乳しぼり体験が長屋から徒歩5分圏内でできます。文化的な面で見ても、タミル人のヒンドゥー寺院があって、外国人から見れば魅力的な文化体験になります。またタミルの薪を使った料理を体験したり、そういった様々な体験を1泊2日か2泊3日でやってもらうイメージです。

長屋が位置する村は、典型的な農村で、農業以外の仕事もなく若者は義務教育が終わるとすぐに都市部に出稼ぎに行く、そして過疎化が進むという悪循環になっていると思います。長屋の活用で多くの雇用を創出することはできませんが、長屋や有機農業のシナジー効果で少しでも村が活性化することを期待しています。そして、ここを訪れた人がスリランカの知られざる歴史の一面を感じ、村人による温かなおもてなしに心が癒され、元気になり、そして今までとは違って視点でスリランカのことを想ってくれると良いなと思っています。

文章/構成 Kenichiro Suzuki