task 課題

エチオピアで深刻さを増すゴミ問題、多数の死者を出したゴミ山の崩落事故が転機に(前編)

フィッツム・メラク
Fitsum Melaku

エチオピアとドイツで学び、環境工学で修士号を得たあと、政府機関や環境NGOを経て、現在は国連ハビタット・エチオピア事務所に廃棄物事業担当のプログラムオフィサーとして勤務する。

「いつ崩落するか分からないゴミの山が、街の真ん中に」

2017年3月、エチオピアの首都アディスアベバ郊外で、廃棄物集積場で高さ50メートルに達したゴミ山「通称コシェ」の一部が崩落する事故が起きた。40ヘクタールに及ぶゴミの山は管理されておらず、ゴミを拾って生計を立てる『ウェストピッカー』と呼ばれる人たちが住み着いており、彼らを中心に推定200名の死者を出した。その後にゴミ山は整地され、それまで50年間常にあった悪臭が消えた。大きな被害を出したが、それを契機にアフリカのゴミ処理問題のモデルケースとなったのだ。大学院で廃棄物管理を専攻し、国連ハビタットのエチオピア事務所の職員としてこの問題に向き合ったフィッツム・メラクに話を聞いた。

──まずはエチオピアにおけるゴミ処理問題の状況について教えてください。

開発途上国はどこも同じような状況で、大変大きな問題です。エチオピアでは急速な経済成長と都市化が、問題をより深刻にしています。アディスアベバの都市化率は年率5%以上で、世界でも最も急速に都市化が進んでいる街の一つです。経済成長はここ10年ほど2桁成長をずっと続け、人口も急増しています。それに従ってゴミの排出量が増える一方で、行政側にはそれを管理する予算も技術もありませんでした。

ゴミ山は、誰かが投棄を始めて気付いたらゴミ山になっていたものと、行政がゴミの管理場所として指定したものがあります。崩落事故のあったコシェのゴミ山は前者で、50年前からあったものです。また我々が別の事業で取り組んでいるハワサという都市では行政がゴミの堆積場を定めて、25年ぐらいは使える見込みで場所を確保したのですが、管理する技術がないので日々やって来るゴミをただ野積みにするだけで、10年でいっぱいになりました。いつ崩落するか分からないゴミの山が街の真ん中にある、という状況になっています。

──コシェの崩落事故では、国連ハビタットが事故直後から現場に入り、再崩落防止のための緊急改善と安全な廃棄物集積場作りを行ったと聞きました。この取り組みはどうスタートしたのですか?

崩落事故の発生直後にアディスアベバ市からの支援要請がありました。それで国連ハビタットのエチオピア事務所と福岡本部(アジア太平洋地域本部)で緊急改善事業を行うことになりました。『福岡方式』と呼ばれる廃棄物の埋め立て技術の専門家に現地を視察・調査してもらい、被害のレベルを確認し、改善のために必要な予算や資機材や期間を調査した上で、事業を実施しました。

注:「福岡方式 (Fukuoka Method) 」は,1975 年に福岡市福岡大学が共同で開発した 準好気性の廃棄物埋立技術です。 その後,日本各地の埋立場で採用され,1979 年には旧 厚生省(現環境省)が示す最終処分場指針で「日本の標準構造」とされました。低コスト,簡便,かつ環境にやさしい技術で,海外からも注目を集めており,2011 年に は国連で「クリーン開発メカニズム(CDM)」の新たな手法として認定されています。
福岡方式(準好気性)の特徴
・覆土により悪臭や害虫等の発生を防止する。
・廃棄物の分解が促進され,浸出水が良質化する。
・ごみ層内に空気が供給されメタンガスの発生を 抑制し,地球温暖化防止に寄与する。 ・埋立地の安定化が促進されるため,早期の跡地 利用が可能となる。 等(福岡市HP

「住民の皆さんが喜んでくれることで頑張ることができた」

──それまで手を付けられなかったゴミ山が崩落し、まさに『手の付けられない状態』だったと思います。

現場では崩落し削られた斜面から煙や炎が燻り、ゴミの表層には深い亀裂が走っていて、いつまたゴミ層の中のメタンガスが火災を起こしたり新たな崩落が起きてもおかしくない状況でした。崩落した部分を中心にゴミを開削し、安定した形状にして、『福岡方式』の技術を応用してゴミの山の中にガス抜きのパイプを入れていきました。

コシェのゴミ山はできてから50年ほど経っていましたが、自然発生的にゴミ山となったために管理されておらず、中にどんなゴミが埋まっているのかなど記録が全く残っていませんでした。何が埋まっているか分からないゴミ山の上での作業はすごく危険です。あらゆるところからメタンガスが漏出し、内部で燃えていることもありました。ブルドーザーやショベルカーなどの重機がゴミ山に埋もれてしまったり、壊れたり、オペレーターが脅えて帰ったり。また、あらゆる生ゴミが堆積しているので、ハエの数がすごかったです。会話をしようと口を開くたびに何匹ものハエが入って来る。とにかく想定しないアクシデントがたくさん起こりました。

──資料を見ただけですが、これだけ大きなゴミ処分場の整備となると、調査だけで数年、すべてを整備するのは10年がかりの事業になってもおかしくないとの印象を受けました。1年で整備できた特別な理由はありますか?

もともと緊急改善事業として、1年間のプロジェクトだったんです。福岡の専門家チームの指導力とご尽力、それにエチオピアチームの頑張りによって成し遂げることができました。我々もほとんど休みを取らず、正月も現場にいて毎日頑張った成果として、ほぼ予定通りのスケジュールでやるべき活動をすべて終えました。これはチーム全員に「やらなきゃいけない」という責任感があったからです。また、我々を後押ししたのはゴミ山の周辺に住む数万人の一般の人たちでした。崩落事故の被害者でもあった多くの住民の皆さんは事業をすごく応援してくれました。それはこれまでひどかった悪臭が全くなくなった、あれだけいたハエがいなくなった、という目に見える変化があってのことですが、住民の皆さんが喜んでくれることで自分たちも頑張ることができました

インタビュー/構成 Kenichiro Suzuki
写真提供/国連ハビタット福岡本部